

「世の人は 我なにともゆはばいへ 我がなすことは 我のみぞ知る。」
(世間の人がなんと言おうと、自分のことは自分がよく知っているのだから、自分のやりたいことは自分にしか分らない。)
「日本をいま一度 洗濯いたし申し候」

1835年〜1867(天保6〜慶応3)。
土佐藩郷土の家に生まれる。 19歳のとき江戸に出て、このときペリーを知る。1862(文久2年)脱藩し、勝海舟の門下に入る。 神戸海軍操作練所設立に尽力を尽くす。 1866年(慶応2年)薩長同盟を仲介して倒幕派の結集に成功したが明治維新直前に京都近江屋で暗殺される。 |
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